atelier HIBARI

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THE GARDEN

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前回の個展のスピンオフ的な展示になります。
手のひらに乗るほどの小さな物から大きな物まで約100点の版画を展示します。
新年度の始まりでお忙しいかと思いますが、足を運んでくださると嬉しいです。

NATSUKO NAKAMURA
Printmaking Exhibition
THE GARDEN

4月14日(火) 〜 25日(土)

GALLERY RUEVENT
171-0031
東京都豊島区目白3-12-27
03-6908-3014
http://www.g-ruevent.com/
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by atelierHIBARI | 2015-04-09 12:20 | Work / Project

Derek Jarman's Garden's closed

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My mother's garden

FABlousさんで開催された個展「デレク・ジャーマンの庭」無事終了いたしました。
沢山の方々に足を運んで頂きました。
その中でも時間をなんとか見つけ、忙しい仕事の合間に
駆けつけてくださった方々が沢山いらっしゃったことに
深い愛情を感じました。心から感謝いたしております。
今回お会いできなかったみなさまには
次回作品を見て頂けるよう頑張ります。
本当にありがとうございました。

私にとって「デレク・ジャーマンの庭」とは?

昨年1年かけて「デレク・ジャーマンの庭」をテーマに制作を続けてきました。
最後までこの答えを言葉で表すこと無く、展示を終えてしまいました。
私にとって「デレク・ジャーマンの庭」とは一体なんだったのでしょう。

初めてデレク・ジャーマンの存在を知ったのは、今から20年ほど前。
「Blue」や「ビトゲンシュタイン」等の彼の映像作品が
六本木のシネ・ヴィヴァンなどの単館映画館で上映されていました。
美大生だった私は「アート系の映像作品...あまり興味は無いけど観に行っておこうかな」
ぐらいの気持ちでいました。仲の良い友人が彼の映像作品「Blue」を観て、
「始終真っ青な画面に言葉のみの構成で途中で寝てしまった」
という話を聞き、観に行くのを止めてしまいました。

それから10年が経ち、場所は東京からロンドンへ。
イギリス留学中の私は時間があると、自転車でロンドン中の美術館やギャラリーを巡っていました。
その中でも、かつてダイアナ王妃が居を構えていたケンジントンガーデンズの中にある
サーペインタインギャラリーがお気に入りでした。庭というよりも公園と言った方が
日本人にはしっくりくる広大な敷地に、小さな平屋風の可愛らしいギャラリーがありました。
見た目の可愛らしさに反し、展示物はカッティングエッジな現代アートが主でした。
シンディー・シャーマン、村上隆、杉本博司などの個展を訪れたのを今でも覚えています。
夏には、世界的に名高い建築家が「パビリオン」というモダンな
東屋のようなもを建てることでも有名です。
私が住んでいた当時は、伊藤豊雄、オスカー・ニーマイヤー、
ザッハ・ハディットなどが手掛けていました。

その小さなギャラリーの中に、小さな美術書を扱う本屋がありました。
その本屋のセレクトが素晴らしく、展示会場よりも長居をしてしまうこともしばしばありました。
このギャラリーの向かいには世界的に評価の高い、美術系大学院大学
ロイヤル・カレッジ・オブ・アートがあり、その生徒が制作したZINEや手製本の本など
まだ世間に出ていない、光り輝く才能を発見できるのも楽しみの一つでした。

その本屋でひときわ目につき、即購入した本が
「derek Jarman's garden」(デレク・ジャーマンの庭)でした。
死が直ぐにでも訪れることを知っていながら
楽園の様な庭を、背筋を伸ばし、美しい佇まいで、創り続けた
デレク・ジャーマンとその庭の写真集。
風景も、建物も、花々も、彼の描く文字も、何もかもが美しく
そこに英国的な美意識を感じずにはいられませんでした。

この写真集から、生と死、陰と陽、光と影、メメントモリなどを感じとることができました。
かつて、アラーキーこと写真家の荒木経惟は、枯れていく花、枯れかけの花にこそ
美があると言っていましたが、この本の中で枯れていく花とはデレク・ジャーマン自身で
彼の庭で咲き誇る生き生きとした花々と対称の美を湛えていました。

小さな頃から庭いじりが好きだったデレク・ジャーマンにとって、
プロスペクトコテージでのガーデニングは、彼にとってセラピーのようなものでもあり、
また死という旅への旅支度のような物だったのかもしれません。

ーーー

2008年の3月食道癌を患っていた父がいよいよ死を迎えようとしていると知り、
父の残り少ない余生を共に過ごそうと私はイギリスから緊急帰国しました。
私の不自然な帰国に、自分の命がそう長くないことを父は悟っていたと思います。
できることなら、そんなことを感じさせたくはなかったけれど、
父の顔を見ずに永々のお別れをするのは耐えられず、帰国することにしました。
2年もの間、たった一人で愛犬の死を看取り、父を看病してきた母に対する
申し訳ない思いもありました。
気丈に振る舞う母にも、心細く、寂しく、辛いことも沢山あったと思います。
母は、父にきれいな花を見せてあげようと自宅の庭に沢山の花々を咲かせていました。
ガーデンニングは母にとって辛い現実からの逃避であり、花々の美しさや、庭になる
夏みかんでつくるマーマレードの香りは、どれほど母を癒していたのだろうと思います。
「デレク・ジャーマンの庭」が頭をよぎりました。

ーーー

2008年4月の中旬、父は突然息を引き取りました。それはそれはあっけないものでした。
八重桜の並木を車で火葬場へ向かう途中、風がふき、目の前に花吹雪がまい散りました。
地球上の命が芽吹く頃、父の命の炎は消えてなくなりました。
私はそのまま日本での生活を始めることになりました。
イギリスでの生活を全て置き去りに、いつか行こうと思い、ついに行くことのなかった
「デレク・ジャーマンの庭」への思いをイギリスに残したまま。


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by atelierHIBARI | 2015-04-05 08:33 | Work / Project